引越しというサービス業を考えてみる。
サービスとは、「経済用語において、売買した後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財のことである」とのことだ。
実に解かりやすい。
サービスとは物が残らない代わりに、満足や安心が残ると考えれば、全てのサービス業に合点がいく。
サービスの種類によっては、素晴らしい体験、感動や高揚、果ては快楽までも残せるのだろう。
また、サービスは、「形の無い財」であるがため、それを受ける個々の価値観で大きくその価値を変える。
対価に関してもそうだ。
必要の無いサービスには1円だって払いたくない。必要ないのだから。
逆に、必要なサービスは適正な価格で受けたいと思うだろう。
価値観は人それぞれだが、通常、必要だから申し込むのがサービスなのだ。
では、サービス業とは実際どのような形態を指すのか。
一概にサービス業と言っても、その広義はあまりに広い。
宿泊サービス、レジャーサービス、金融サービス、教育サービス、情報サービス、医療サービス、レンタルサービス、専門技術サービス、アウトソーシングサービス、郵便、運輸(物流)、交通、通信、外食、エネルギー、エンターテイメント、コンサルティングなど、列挙すれば、きりがない。
人が一生のうちに受けるサービスの種類は、実にさまざまなのだ。
中には生涯受けることの無いサービスもあるだろう。
アウトソーシングサービス、コンサルティングなどは、その言葉や存在は知っていても、そうそう世話になることは無いサービスだ。
一方、娯楽系のサービスには誰でも馴染みがあって、その価値観を共有しやすい。
サービスを受ける頻度が高いうえ、同類のサービスや同一のサービスを提供する業者が多いからだ。
また、娯楽系のサービスはひとつひとつのサービスに基準となりえる形が存在しやすい。
たとえば、宿泊サービスならベッドの質や夕食のメニュー、大浴場の有無だって、評価の対象になるだろう。
サービスを評価するのに、一番簡単な方法は、比べることなのだ。
運送サービスとしての引越し
引越し業は運輸サービスに含まれる。
行政の管理所轄から見てもそうだ。
同じ運輸に属するサービスと比べて、引越しサービスは、その利用頻度がとても低い。
例を挙げるなら、宅配業者。
最近ではインターネットの浸透によって、通信販売が盛んだ。
その通信販売と切っても切れないのが宅配業者だ。
宅配業者のサービスは、これまでだってお歳暮やお中元でかなりの利用頻度だった。
加えてこの通信販売ブーム。
もはや、「宅配業者を利用したことが無い」というのは稀なケースになるだろう。
語られるに十分な利用頻度に達して初めて、それぞれの宅配業者が提供するサービスに評価が付けられるのではないだろうか。
そして、宅配業者のサービスは質、価格を語るに十分な利用頻度に達しているに違いない。
引越しサービスは利用頻度が低く、質、価値を語られるところまで達していない
宅配業者のサービスと比べて、引越しサービスはその利用頻度がサービスの質、価値を語られる所まで達していない。
人はそう引越しするものではないからだ。
数多ある引越し業者の中で、5社の引越し業者を利用したことがあるユーザーはごく少数だろう。
各引越し業者が提供する引越しサービスを比べることができないのだ。
加えて、「引越し」自体は大きく見て、不動産業者が提供するサービスの範疇に入る。
新居となる不動産物件は不動産業者を介さないと、探すことも契約することもできないのだ。
その付随サービスとして、「引越しサービス」があるのだ。
引越しサービスはあくまでも、新居へ引越しをするのに頼まなければならないものであって、どこか「仕方なく頼む」というニュアンスを含んでいる。
事実、「引越しサービス」を受けたいがために引越しをするケースなど皆無だ。
引越した人間からすれば、引越しなど飛び越えなければならないハードルと同じで、「高さ」以外、興味が無いのである。
そして、ひとたび飛び越えてしまえば、そのハードルには全く興味を持たないのだ。
引越しの記憶が語られることはない
同じサービスの中でも旅行サービスの思い出は語っても、引越しサービスの思い出はそう語られるものではない。
むしろ引越しで多く語られるのは新居となる不動産物件そのものだ。
引越しを予定している人間に、まず聞くのは「引越先はどこか」である。
あるいは引越し先の不動産物件は買ったのか、借りるのか。
いきなり「どの引越屋さんで?」と問うのは、引越し業に従事している人間くらいだろう。
引越しサービスと銘打っているにもかかわらずである。
引越しサービスの評価
引越し業は言わば裏方の仕事。
引越しの思い出として語られることがあるならば、それは大抵の場合、予期せぬハプニングや悪いエピソードだ。
一般的に感動や賞賛の声よりも、悪評や中傷の声の方が大きくなる。
サービスが良ければ何も言わない。それが普通のことだから。
逆に悪ければ声を上げる。感情に任せて大きな声になる。
その声は次第に集まって悪意に満ちた酷評につながる。
「○○引越しセンターに家具を傷つけられた」「○○引越しサービスには頼むな」といった書き込みがインターネットでも見受けられる。
引っ越しそのものが無かったことのように、新居で普通に生活できれば、引越しサービスを受けた人間は何も言わない。
「引越してよかった」という感想は、住環境に対してのみの評価であって、その中に「引っ越しサービス」のことは含まれていないのである。
「売買した後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財」を、サービスというならば、「引越し」というサービスは「引越し当日の記憶さえ残さないこと」こそが、最高のサービスになるのかもしれない。